小平教会のあゆみ
”PAX ET SALUS HUIC LOCO ET HABITANTIBUS IN EO/この地とここに住む人々の上に平安と救いがありますように 聖マリアに捧ぐ 小平 磯野”
1953年頃、20人くらいの信者が磯野さんの家の応接間に集まり、気候の良い時には庭の芝生に天幕を張ってミサが捧げられるようになってから2年ほど経った時、ナーベルフェルト神父(神言会)が敷地にあった納屋を聖堂として使わせてもらえないかと言ったところ、「それならば聖堂を新しく建てましょう」ということになりました。
こうして、カルペンティール神父(ドミニコ会)が描いた十字架の道行きが飾られ、鐘楼にはナーベルフェルト神父がドイツから取り寄せて寄付してくださった鐘が掛けられた聖堂が1955年に吉祥寺教会の分教会として献堂されました。聖堂に続き、幼稚園と司祭館も完成しましたが、土地と建物はすべて磯野さんからの寄贈によるものでした。
1957年に吉祥寺教会の分教会から小教区として独立した小平教会は、郊外に移り住む人が多くなって、ミサに集まる人が聖堂に入りきれなくなると「もっと大きな聖堂を」と建設積立献金が始まり、1975年に現在の聖堂が献堂され、現在も大切に使われています。
出典:小池亮太(2020)「全国の司祭館からこんにちは!」『家庭の友 11月号』サンパウロ 18-19